作品の消費スピード

キャノンのデジタルカメラにもう7Dという新機種が登場するらしい。プロダクトライフサイクルがコンパクトデジタルカメラ然としてきた感がある。5年以上モデルチェンジしない名機なんてのも昔の話になりつつある。

村上春樹の話題の最新作「1Q84」にしろ、1日で読める代物だった。

ストレスが溜まるとたまにやりたくなるゲーム。土曜から始めたWiiのDragonQuestSwordも開発に何ヶ月も掛かったのだろうが2日、10時間ほどでクリアしてしまった。DragonQuest9も精々30時間程度だ(海外にいるとそれ以上やる要素は無い)。

数ヶ月をかけた大作や作家の記念碑的作品であれ、費やされた作品生成の時間に対して消費仕切る時間のなんと短いことか。それでもって残念なことに1Q84もDragonQuestSwordも終えてしまった後は残るものが殆どない。こういうことをなんと言い表すのか判らないが、物事が薄っぺらくなっていく寂しさがある。

本当に良いものはがつんと心に残りいつまでも尾を引く。その思わせぶりさが目につく「1Q84」なんぞよりはその直前に読んだ井上靖の「天平の甍」のほうが頁数は数分の一にも関わらず遥かにずしりと来る。1Q84には殺し、暴力とセックスの描写が不必要なほど多く、謎解きのようなモチーフが散りばめられている点では東野圭吾の作同様に昨今売れる要素が多分に含まれた作品である。サヴァン症なんて実際の疾患者なんて極々稀なのに一時期の韓国ドラマの登場人物がこぞって記憶喪失になったぐらい陳腐化したネタが出てくることにがっかりする。なんというか、傍目にはそれらしく華麗に見える無駄な動きの多いシャドーボクシングと最短距離で飛んでくる体重の乗った実戦の右ストレートのような両作品の違い。無論脳天をガーンと揺さぶられたのは後者の「天平の甍」だ。

気に入ったものを長らく愛するようなスタンスのものづくりは今の本流では無いのかもしれないが、傍流として残って欲しい。