泣く

よう泣く。
良く言えば感情豊か。泣き笑う感情豊かな彼らは一緒に遊ぶと楽しい。
悪く言えば感情をコントロールしない、できない。職場でもだ。

仕事の上では必要水準に満たない場合には時には厳しいことを言わないといけない。もちろん、仕事の要求に照らし合わせて何が不十分でどう改善するかを客観的に、冷静に話すのだが。問題点を改善し本人も仕事相手も気持ちよく仕事していけるようにすることが目的だ。

しかしそうは簡単にはいかない。まず、問題点を納得させることが意外と難しかったりする。単に客観的に事実を受け止めて次回に改善すれば良い些細なことでも、どうしても感情が混ざりこんでしまう。問題点を話すと、あたかも自分を否定された、努力を認めなかった、尊厳を損なわれたと捉えてしまうようである。長々と言い訳が始まる。

自分の非を認めてはならないなんてことが良くフィリピン文化について書かれている。そんなもんかと思っていたが、ああ、こういうことかと感じた。裁判に例えると、非を認めてしまうと罰を被るといった考えに近いらしい。ちなみに「規則だから守りなさい」は通用せず、規則を守ればあなたはこんなに得をすると諭すほうが良いとも言われる。

そして感情が高ぶると泣く。ここ1ヶ月で大勢の前ではないが、個室での少人数の話し合いになると泣き出す子を3人見た。男も女も。

しかし内容を見ると彼らには悪いが、殆ど挫折なんてうちに入らないことも多い。プロジェクトで失敗したとか、他の人が居る前で仕事の出来が悪いと言われたとか、昇進が数ヶ月遅れたとか。そんなんが理由なら自分は何度泣いていることか。お前はクビだと仮に言われても、歯を食いしばり屈辱に耐えるもんで泣くなんてもってのほかと思っていたが。

とはいえ、文化の違いなのか、やはり相当異常なことなので自分も細心の注意を払うべきことか、同僚に聞いてみた。彼女は課長職の32歳。彼女曰く、そういう理由で泣く人はよく見かけると。
「私もそういう時、今でも泣くわ」
あんたもかい。

感情をコントロールできるようになって欲しい。多少の失敗に泣かないぐらい打たれ強くなって欲しい。痛みだって慣れるもんだ。