ドライバーに悩む

些か厄介なことになった。

我が家の運転手は非常に頭の切れる男で、身なりも趣味も若い。ショートパンツにボーダーシャツ、サングラス。手や首にはシルバーのチェーンが光る。40近いとは思えない。

コンドミニアムのリーダー的存在なようで、ドライバー待合室の基本施工が終わったにも拘らず開放されていなかったところをコンドミニアムのアドミンに掛け合って使えるようにしたり、ウォーターサーバーを借り、共同で金を出し合って水を飲めるようにしたり何かと中心的人物らしい。揃いのコンドミドライバーTシャツまで作ってしまったようだ。

運転技術も非常に高いし、一度行った場所は忘れることは無い。日本人が行くような場所は大使館、食料品店、日本人会、スパ、旅行代理店などほぼ把握している。警官とも交流があり、難癖をつけられて罰金を払うようなことも無い。冗談好きで話し好きであり、雨が降っていれば傘を持ってくれ、レストランで机がぐらついていればささっと何かをテーブルの下に挟んで解決してくれる。

非常に優秀で話題も豊富で、満足していたのだがここ数ヶ月様子が変わってきた。給与の前借をしきりに強請るようになってきたのである。彼の別居している田舎の正妻との間に生まれた娘がマニラの中学校に行くにあたり、マカティで同居しようとしたらしいが入学費諸々の経済的環境が整わず田舎に帰ってしまったらしい。入学費だけを援助しても学費、教材費など今後も続く話なので小生は一切金の前借はさせなかった。必要な支出は計画的に貯金して備えないといけない。其の為に値段の高いパワープラントで食べることを諦めたり、外食を自炊に切り替えたり、服を買う量を減らしたり、携帯電話やらに使う金を減らすなど節約の余地は多分に見られる。我等とて高いのでパワープラントで食事など滅多にしないぐらいだ。

正妻とは別居し、彼女と住んでいるのだが、その彼女が妊娠したと聞く。検診やら入院やらで何かと物入りになっていくのだろう。もしかしたら田舎に帰った娘に仕送りもしているのかもしれない。

お金が要るのだろう。切実な願いとして。暗く落ち込んだ表情の日もあった。もっと深刻な事情を抱えているのかもしれない。そんななか、いろいろと条件を突きつけてきた。会社からの帰路、少し怒った口調でお金が欲しいんだと語気を強めた。

  • 最初の契約に追加して全ての祝日を祝日とすること。
  • 祝日に働いた場合は時間給ではなく最低保証500ペソを払うこと。
  • 水曜日はカラーコーディングの関係で車を使えないので原則お休み。
  • カラーコーディングが解けても実労働時間に関わらず8時以降は残業代がつく。
  • 10日間の傷病休暇と10日間の有給休暇を認め、休暇を使用しなかった場合は換金させること。
  • 病欠を日曜に振り返ることは認めない。
  • 昼の12時から1時の間に働いた場合は100ペソ追加。
  • マニラ郊外に泊まりで行くときには宿泊費、食費全負担に加えて一日1000ペソの手当て。
  • 保険費用月500ペソを新たに負担すること。

労働時間よりも収入額が大事だと言う。我が家は前のKTVによく行く日系企業サラリーマンと違い残業が少ないことを以前嘆いていた。そこで追加料金がいろいろと発生する仕組みにしたいようだ。あまり要求を上げると残業も小旅行も一切しないように気をつけるようになるから収入額は減ると言っても、今度は一日拘束されて500ペソのために祝日を働きたくないとプライドがあるようなことを言う。正直矛盾しているのだが、論理矛盾を突くと感情的になる。嫌なら他の運転手に替えてくれと啖呵を切る。もし娘や生まれてくる子供のことを考えたら、欲を掻いて職と給料を失っては元も子も無いのだが。シュノーケル代も出したし、快適なコテージと海の見えるリゾートで一日寛いでもらえるようにしたのに拘束労働と言い切られると寂しくもある。少ない事例からだが、短気で自尊心が強く、複雑な交渉事に粘りが無いのがフィリピン男性の傾向のように思う。以前、残念ながら退職してもらった社員の子の辞める際のいざこざと前任ドライバーのことを思い出した。


実質的に今より月に2000ペソ近く基本給を多く払って欲しいということだ。さらに昼食や夕食にレストランに行ったりすることができない。週末に泊りがけででかけることもできない。祝日も夜20時以降も気軽に使うことはできなくなる。もし使いたければ全て追加料金。それは非常にストレスが溜まる。随分とドライバー費用も上がることになる。

ちなみに今の賃金は月1万2000ペソで日本人付きドライバーの相場がフィリピカによると1万ペソであることを考えるとかなり高めの給料を既に払っている。また、出張中も仕事が無くても満額払っており、必要なくなったら家に帰しているので時間給換算すればかなり割が良いと思っている。朝夕の送迎と嫁さんの買い物程度なので実労働時間は精々4時間だ。今まで以上に何かをするわけでもなく、より少ない労働時間でより高い賃金を貰いたいというふうに受け取れる。それはこちらが納得できない。


使用人を雇うということを自分の中でうまく位置づけられていなかったのがわかった。今でも住み込みメイドを雇うことは貧富の差に付け込んで経済面で安全圏にいる人間らが楽しているだけではないかと思っている。特に住み込みメイドは殆どの時間を拘束され、職業階級上昇の機会を奪っているようにも思う。メイドの結婚生活も家族との時間も奪っている。ステップアップすることを許さず、メイドはメイドとして一生働くことを強いるような労働形態だ。食べて暮らしていけるのだから良いのではないか、路頭に迷っている多くの人よりマシだと言う人もいるかも知れぬが、それはもはや同等の人間として見ていない。搾取とすれすれである。ドライバーに対しても一部そうかもしれない。しかし其の一方でドライバーは有り余る待機時間を語学の勉強や何かにあてて会社専属運転手を目指すであるとかそういった努力をしないのも事実だ。そこに不満もある。彼が優秀なだけに、できる努力をせずにたどり着いた帰結に対し、ただ要求に応じるのが憚られる。

結局のところは、彼の要求通り値上げされても払えるかというと小生には払える経済力がある。相場と比較して損するのが嫌なだけかもしれない。彼からすればケチな金持ちかもしれない。彼の家庭の経済事情のニーズにも拘らず相場を理由に断るのが正しいのかどうか。可能なことを気分で拒否しているのではないかと問われると否定する自信は無い。大いに葛藤する。その一方で要求がエスカレートして安全面で懸念が出たりこちらのストレスが増すのも避けたい。

思えば日本はこんなことを気にする必要も無い無階級平等社会なのだと思う。貧富の差はあれども使用人が一般化し、人が人を隷属させるほどの差ではないように思う。