良い親とは

Eiga Sai Film FestivalというJapanese Association協賛の映画祭がManilaのShangriLa Mallで13日まで行われている。Eiga SaiがFilm Festivalという意味だから「Master 老師」「Mount Fuji-san」「Katana Sword」というぐらい滑稽な響きがする。無料だということで長蛇の列が出来ていたが、作品のラインアップは「かもめ食堂」や「Always三丁目の夕日」、「嫌われ松子の一生」などなかなか粒ぞろい。

Memories of Tomorrow 邦題「明日の記憶」という渡辺謙樋口可南子が主演する邦画を観た。東急エージェンシーをモデルとした広告代理店で猛烈に働く部長が、日常の中で繰り返す物忘れに疑問を感じて診察を受け、アルツハイマーであることを告げられる。そこから始まる人間ドラマを描く。

社内会議をすっぽかしてしまったり、顧客との会議に5分遅れて顧客に酷く怒られるなどして部長として非常な危機感を覚えるのだが、嫁はフィリピン人にこの深刻さが伝わるのかと訝しがっていた。デリバリーを忘れることなんてざらだし、時間通りであることのほうが少ないフィリピン。5分遅刻することなんて日常茶飯であるし、大事な顧客との会議に遅刻するということよりもたった5分の遅刻で顧客に罵倒されることのほうが異常に映ることだろう、と。そうかもしれないな、と苦笑。確かにレストランでお勘定を頼んだことを平然と忘れられていたり、何かお願いしたことを忘れられていたり枚挙に暇がない。

本題に戻すが、自分がアルツハイマーであると告げられたらどう向き合うか。パートナーがアルツハイマーであると告げられたらどう向き合っていくべきか。それもひとつのテーマなのだが、夜NHKで放映されてた児童虐待のドキュメンタリーと重ねて考えさせられたのは父親としてどうあるべきかということ。

渡辺謙演じる主人公は、仕事一筋で授業参観で娘の晴れ姿を見ることもせず、娘が受験で失敗し一晩中泣いた夜も銀座で取引先と飲んでいた。思い悩みグレる娘に向き合わず母親任せで通した。典型的仕事人間として誇張されてはいるだろうがありうる話だ。

そしてドキュメンタリーで映し出される息子を虐待し続ける母親。どちらが立場が上かを常に子供にわからせないといけない、などと頓珍漢なことを言って子供に厳しい言葉を投げつける。子供は不条理で過剰な苦しみに対して、感情と感覚と思考を相互に遮断して耐えようとするらしい。そして悲しみの感情、痛みという感覚、なぜそんなことが起きたのかを理解する思考を相互に関係付けて理解できないで育った子供は、ストレスを感じると怒りという原始的な感情で発散するしかできなくなるのだという。何十年もかけて歪んで固められた親の性格はもはや治らない。大抵親に虐待の自覚はないか、あるいは止めたくても止められない。そんな親の元で子供は育ち、虐待がさらにその子供へ再生産される。なんとも居た堪れない話だ。

良い親であるためには親自身に自信と余裕が必要なんではないだろうか。子供に向き合える余裕。子供の悩みや葛藤を受け止められる余裕。子供に胸を張って生き方を示し、良し悪しを教えられる自信。親とて世の中の全てを自分の思う通りにすることはできないだろうし、常に何がしかの困難に向き合うのだろうが、そんな中に余裕と自信を持てるかということが重要に思う。