雑感

昔の上司でもある先輩と長々と珈琲休憩を取った。性格や価値観、夢は違えど自分の考えをしっかり持っている人と話すのはとても為になる。率直な意見をぶつけてくれるのも非常に有難い。

30まで生きてきてできてないことがどこかに舞台を移せば途端にできるようになると思うのは幻想だというのは彼の意見。それは御尤もだと思う。それぞれの未来はどうせそれぞれの過去の延長方向にしかないように思う。培った感覚や勘、見識なんぞが単一の用途しかないとは思わないし、それらを総動員してその都度自身がやりたい「次」に繋げていくしかない。

どこか他所でできることははっきりいって今自分がいる場所でもできる。それはそうかもしれない。それは別に自分が今いる場所じゃなく他所に行ってやったとて構わないということのようにも思う。

刻一刻と変わっていく環境の中に身を置こうが、自ら転々としようが、自分にとって一番大事な何かを常に考えつつ、一見近道のような誘惑に惑わされずにとても基本的なことから目を背けることなく励む。そんなイメージか。

それぞれ人生を通じて磨き続けたい何か、向上させたい何かがあるのだろうけど、彼はそれを組織なり人の集まりと言う普遍的なものの中に見出せているのに対し、自分はより特定のモノへの拘りが強いのかもしれない。人それぞれ、何がしかに執着が生まれるのだろうけれど、それが囚われた考えであれど遠回りであろうと気が済むまでやってみないと次には進めないようにも思う。

人生の意味なんてようわからんし、やりきったと胸を張れる達成感を抱いて死ねれば何だって良いのだろうな。自分が満足できる人生とは、最も情熱を持てる対象をその時点その時点で認識して自分の能力一杯取り組むという単純なことの連続なのだろう。それこそ客観的に見て非効率であれ遠回りであれ、自分として到達できる最遠なり最高点に到達できれば良い。それがしょぼかろうが、それでよい。

結論として永年課長職を受け入れて点々とするようなキャリアパスはありえない。いくら家庭や趣味に意義を見出そうと、仕事を単に給与を得る手段として諦観するのは嫌なもんだ。給料も職級も上がらん状態に安寧して楽に仕事をこなすような腐り方はしたくない。ワクワク感と向上心を自ら放棄したら終わりだ。とりとめ無いがそんなことを思った。

結局は自己満足。どこまで自分に向き合い、自分が何に充足感を得るかを容赦なく突き詰めていくことかね。