松風の家

大事に読もうと思っていたのに2日間で松風の家を読破してしまった。なにやらとても心揺さぶられる小説だった。どこまでが本当の話かはわからないが十分にありえた時代背景の話。ファンからの反感覚悟で言えば小生にとって東野圭吾村上春樹のような流行作家の作とは読後のずしりとした残りかたが違う。

あれは福田和也か坪内何某だったか。「松風の家」は裏千家に忌み嫌われているなどと言っていたのは。小説を読めば尊敬こそすれ、一新後の困窮を今の威勢と比較して笑うような気持ちは沸かないと思うのだが。出生の定かでない庶子なんてのも昔のそれなりの大きな家ならばそんなに珍しいことでもない。

宮尾登美子の筆が旧家の内情を暴露するとか、気位高く振舞う今の茶家を貶めるような俗な気配を全く帯びていない。読後には寂しくも清々しい心が残る。

不秀という茶名を持つ業躰の生き様が何とも爽やか。家の守り観音あるいは人柱として垣のうちに生きた由良子、厳しい旧家の慣習に心砕かれる益子、温もりに餓え宗室の地位と家族を捨てた恭又斎、男としての厳しさをもって生きざるを得なかった猶子、ひとつの時代の終焉を象徴する沙代子。数多くの登場人物それぞれに光を当て、愛憎渦巻く人間模様を誰一人悪役にすることなくいたしかたないそれぞれの心情を描き切っている宮尾登美子の凄さが改めて伝わる。


昔の人が持ちえていたような辛抱や忍耐、幼少から一つの道に精進して到達して得られるような境地はもう現代に生きる人には滅多に手の届かないものとなりつつあるのではないだろうか。情報も選択肢も無数に与えられているだけに大切なものが見えづらくなっているということかもしれぬ。自分は30歳にもなって何を修めたのかと思うと沈鬱とした気分にもなる。