運転手さん

新しい運転手さんになってはや5ヶ月。今のところ彼女の働き振りにはとても満足している。

遅刻をすることも無いし、前借を要求してくることも無い。残業を払いすぎた際もきちんと指摘してくれるほどに誠実だ。リゾートで食事に誘った際も固辞した。運転手としての一線をきちんと引いている。また、早朝や深夜の空港送迎などの無理にも対応してくれる。嫁さんも一緒にいて安心できるようだ。

女優の誰某とイケメン俳優の何某が小生の住んでいるコンドミニアムのそれぞれ22階と25階に住んでおり、公には二人の間に関係は無いことになっているらしいが、実際は同棲状態だなどというゴシップまで提供して嫁さんの相手になってくれる。

今日は田舎から届いたバナナをもって来てくれた。「とっても美味しいから」と満面の笑顔。

問題の無い範囲で「こうして良いか」「どこどこに駐車して待機して構わないか」と聞いてくれるし、こちらが間違えている時や良案がある際にはアドバイスしてくれたりもする。

何が気持ちが良いかというとそれなりに対等な意識を持っていてくれていること。卑屈さが無い。健全なプライドがある。

小生とて会社に隷属している意識はさらさらない。求められている役割は何であり、何に対して幾らの給料を貰うか。まずその相対契約が基本にあり、その上に働きやすさや愛着なんてものが自由なものとして乗っかってくるものだと認識している。

運転手と雇用主の関係とて、何をしてもらうから幾ら支払うという相対契約があり、それ以上してもらう際には追加で幾らを払うという合意が基本にはある。その上で拘束されない自由な領域で、雑談であったり些細なプレゼントなどの好意のやりとりがある。

若干話はずれるが、適切な給与水準で双方が合意していることは長い関係の上では非常に重要に思える。仕事に対して払い過ぎているという意識が雇用主にあると、「多く払ってやっているのに」「好条件で雇ってやってる」といった思い上がった態度に繋がる。些細なミスに対しても不満は高まる。使用人側からすれば雇用主が合意した金額ならば知ったことではない。逆も然りで使用人側が「こんな安い給与で働いてやっている」と思っていても雇用主には知ったことではない。お互いが満足できる水準で合意するか、さもなくば問題が生じないうちに変えたほうが良いのかもしれない。この基本がしっかりしていてこそ、お互いを尊重した面白味のある関係を築けるように思える。

感謝の気持ちを込めて会社から配られる巨大なクリスマスバスケットをそのまま贈った。バスケットというよりは業者用の通い箱のようなものなのだが。

そういえば、ひと揉めして辞めてもらった運転手に日本食材店の前で会った。「メリークリスマス。調子はどうですか」と挨拶された。新しい運転手さんは最高です。とは流石に言わなかった。