爆問学問

今日NHKワールドで再放送されていた爆問学問がなかなか興味深かったので備忘録を残しておきたい。

主役は一時期話題をさらった「ゾウの時間、ネズミの時間」を執筆した学者である。専門はナマコで世界的権威でもあるらしい。

動物にとって時間の概念は体のサイズの1/4乗に比例して長く流れるらしい。平たく言えば、体重が10倍の動物には1.8倍ゆっくりと時間が流れるというもの。ネズミより人間、人間よりもゾウをとりまく時間のほうがゆっくり流れていると言うのである。飼犬マンゴーの成犬体重を4-5kgとするならば、マンゴーには小生より倍速の体感時間が流れているということになる。

これは動物の心臓の生涯鼓動数を基準に考えてのことである。心臓が脈打つ心周期はハツカネズミが0.1秒に対して猫は0.2秒、馬は2秒でゾウにもなると3秒であるらしい。そして多くの哺乳類は心拍回数15億回程度を寿命とするらしい。

ただしそれで計算すると人間の寿命は26年になるらしく、霊長類は法則から大きく逸脱した例外ということになる。ほかに蝙蝠がその法則から外れる。ただ、人類は調理をしたり食を加工したり、入れ歯をしたり、医療をほどこしたり例外処置が多いし、縄文人の寿命推測値は31歳だったとする説もあるぐらいだからあながち間違いではないかもしれない。心拍数が寿命上限ならばスポーツ選手は短命ということになるが果たしてどうなのだろう。引退後や運動時間外は鍛えた強靭な心配機能で生活を送るので相殺されているのだろうか。

興味深かったのは、人間は生存に必要なエネルギーの40倍にもあたる膨大なエネルギーを石油資源や原子力などから得ており、それらを専ら時間の短縮に使っているという彼の思考だ。新幹線や飛行機で速く移動することを可能にし、兵器や銃器でより速く破壊することを可能にし、電子メールでより高速な通信を可能にする。電気で日が暮れた後も日中と同じように活動することを可能にし、翌日の作業を前日に処理することを可能にしていると言えなくも無い。生体時間がさほど変わらないのに対して、生活の速度は飛躍的に上昇を続けている。そこに人間という生物にとって大きな齟齬や障害が生まれるのではないかということだ。

もうひとつ面白かったのが、ナマコの構造である。ナマコには心臓も脳も無い。筋肉は体重の5%しかなく、砂を食べ、砂に付着する有機物を栄養としている非常に低エネルギー消費体であるらしい。脳死が死ならば脳の無いナマコは生き物ではないことになる、などと疑問も呈していた。ナマコにだって快楽、あるいは幸せなんてものもあるのではないか。人間は脳が全てを支配すると考え勝ちだが、脳に依存しない価値観や幸せなんてものもあるのかもしれない。体で幸せを感じられてこそ脳でも幸せを感じられることができるのではないかなんてことも言っていた。これは理性が統べるデカルト的自己認識に対して体と心と意識をいずれも不可欠とする多少禅的な捕らえ方か。ちなみに先にあげた法則を真っ向から否定するかのような心臓も心拍数も無いナマコだが、どうやら寿命はいまいち謎で5〜10年ぐらいではないかということらしい。ナマコには何が脈打っているのだろう。

書くのに飽きてきたのではしょると、人間本来の生体時間に合わせて活動することで、人間はより幸せを感じることができるようになるのではないかというような仮説だ。利便性と忙しない生活を捨てよと。しかし正直、江戸時代というはるかに文明としての利便性は未発達だった時代でも丁稚の少年時代から朝から晩まで働き詰めだったなんて話も聞くし、ゆったり構えて自分だけのペースで生きてもこの時代に生きる限りなかなか難しいものだ。その一方で生体時間を大きく越えた寿命部分はおまけのようなものだからもっと楽しめという彼の主張には大きく賛同する。

はて、人間の生体寿命が本来は26〜30年とすると、もう寿命を過ぎてロスタイムに突入したことになる。そうなると自分の人生なんだったんだと苦笑したくもなる。残り余生を充実させたら良いということか。


マンゴーにとって夜は倍の長さをもつことになる。朝が待ち遠しいわな。