親子と六本木バーの話

15から25歳まで板前修業をし、その後麻布や六本木でバー経営とバーテンダーを40歳前までされていたという方と、20数年間ヘアスタイリストとしてやってこられた方と夕食をともにした。二人とも単に年上というからではなく、違う世界で生き、自分に無い経験をたくさんされているという点で人生の大先輩だと思っている。

事情あって前妻との間にお子さんがいらっしゃるのだが、生後10ヶ月以来大人になるまで会っていなかった息子と再会した際の話なんかはいろいろ感じるところがあった。当時は板前修業で家で子供といる時間など無かったこともあり、実の息子だろうが、愛情は沸かないし他人と変わらないという。実の息子だという知識でもって繋がっているだけなのだろう。それはわかる気がする。親子というよりは友人関係で繋がっている感覚だという。一緒に行動を共にして様ざまなものを共有してこその愛情なのだろう。一方でフィリピンで生まれた、毎日顔を合わせている10歳になる赤ん坊は、可愛くて可愛くて仕方が無いそうだ。

自分自身も結婚して義理の母ができたわけだが、義理の母との関係もそういうものだろう。書類上の親等や扶養義務などではなく、時間や体験を共有することなく親として感情で繋がることはできないだろう。そうなれる時間を作っていきたい。

麻布や六本木の賃料や自分の客層なんかの話も聞いていてどれも面白い話だった。月に100万円以上の収入はあれども、1/3はお客のママさんやなんかの誕生日プレゼントなどで消え、1/3はベンツであったり高価な服であったり麻布なんかでやっていく自分を飾る投資に消え、残る自由になる現金はさほど残らないという。客から急に週末にハワイ旅行に誘われたりもするらしく、飛行機代を出してもらってもその後の飲食は持ち出しなので、それらに備えて貯金することも必要だったそうな。ただ、20万円だけが収入でそれを倹約して使う生活よりも、80万円を手元に残らずとも使って20万円が残る生活のほうが彩りのある経験豊かな生活だろう。

当然バーともなれば明け方近くに帰ってきて、新聞に一通り目を通し話題に上がりそうなネタはチェックし、昼前には会社勤めの客にお礼の電話をし、その数時間後にはまた他の客郡に電話をかけて回り、さらに夕方には出勤前のママに電話をかけて回るなど、常に2時間ほどの睡眠を断続的に取る生活だったという。そういう麻布や六本木で10年間店を回すだけの大変な努力もされてきたらしい。そして聊かそんな生活に終止符を打ちたくなったというのもわかる。

ちなみにバー業界の一等地はけして六本木や麻布ではないという。一には銀座。そして意外なことに下北沢や吉祥寺なんかの名前が上がる。下北沢など大学生の集まる街のイメージだったが、バーテンダーが勉強しに行くバーなんかがあるのだという。一杯7000円やら1万円のショットが一点の曇りなく磨かれたバカラで出される、そういう世界らしい。

自分の知らない世界の話をいろいろと聞かせて頂いた。