どん底でこそ笑え

先週、鴨志田穣西原理恵子を取り上げたドキュメンタリーが放映されていた。鴨志田穣は戦場カメラマンの橋田信介に弟子入りし、世界の紛争地帯を取材してまわった人であり、漫画家の西原理恵子の旦那としても知られる。ギャグ漫画家の西原理恵子が一切笑顔を見せず淡々とした表情で「どん底でこそ笑え」と自らの信条を語っていたのが印象的。

鴨志田穣アルコール中毒で子供に暴力を振るう父に怯えていた子ども時代を送り、戦場カメラマンになって父を見返すことが過去を克服することだったそうだ。しかし紛争地で目の前で人が死んでいく様を見続け、絶えずそれらがフラッシュバックし、重度のアルコール依存症に陥ることになる。克服するも癌で42歳で亡くなっている。

ポルポト政権下で銃殺された父親の亡骸の前でなぜか笑顔を見せた家族。銃撃の合間の日に笑顔で遊ぶ子供達。目を背けたくなる現実の中、それでも笑顔を見せる子供達の強さに強烈に見せられたという。そしてそういう子供達の笑顔を次第に撮るようになっていったそうだ。

戦場の惨状を伝えることが使命である戦場カメラマンとしては失格だそうだ。確かに、世の中は戦場で笑顔を見せる子供の図は欲していない。生き延びていくために、自我を保つために見せる一瞬の笑顔なのだろうが、鴨志田自身が自らのトラウマから戦場カメラマンとして生きようとしたように、子供達はより深刻なトラウマを抱えて生きていくことになる。「死の境でも人は逞しく生きていく」というメッセージは誤解されかねない。

「鴨、おまえは戦場カメラマンに向いていない。おまえのいるべきところはここではない。」そう師匠でもある橋田信介に告げられ戦場を去ったそうである。

アジアパー伝など数々の共著を西原理恵子と送り出しているが、その後10年以上アルコール依存症との闘病に費やし、42歳で亡くなっている。戦場カメラマンとしての実績はよくわからない。ざっと調べてみる限りさほど無いような印象を受ける。断っておくが故人を悪く言うつもりは全く無い。自分では思い通りにならない何かに絶えず翻弄され何かを成し遂げることなく早死にせざるを得なかった。根が繊細で優しい人柄が透けてくるだけに、ただただ境遇や生い立ちの不条理が心に残った。

フィリピンは残念ながら不条理を目にすることが多い国である。しかし日本とて明白な社会的不条理が見えづらいけれども、色々な生き辛さはあるのかもしれない。度々こういうことが心から離れなくなるのはなぜだろう。自分はどちらかというと絶えず恩恵に浴する側で、さしたる苦労をしてきていない。だから負い目を感じているのだろうか。ようわからん。何がひっかかるのだろう。