呑倒 ACTION横田さん、美容師AKIRAさん、経営者RYOさん

学生の頃にフィリピンの孤児を支援するACTIONというNPO団体を立ち上げられた、横田さんという方にお会いする。なんでも極真空手の師範もされているとか。ほかにフィリピンのロータリークラブの会長なんかもやりながら、日本とフィリピンを行き来されている。15年フィリピンに関わり、タガログ語も流暢に話す。日本では小学校や大学での講演を数多く手がけ、学生を対象にスタディーツアーなんかも多く企画されている。筋骨隆々だが温和でなんというか、内面がどっしりと分厚い人。よほどのことには動じない重さを感じる。31歳。

もう1人、御一緒したのは今回2度目になる美容師のアキラさん。相変わらず物腰の柔らかい気さくな方だ。いわずもがなクリスチャンディオールやヴィトン、VOGUEやJJ、anan、Rayといった雑誌やファッションショーのトップヘアスタイリストとして活躍されていた。

後からお会いしたのは、東京で数件お店を経営されていたというRYOさん。高級マンションもスポーツカーもみんな手に入れて生活に魅力を失ってフィリピンに越してこられたという方。ざっくばらんに切り込んでくる面白い人だ。

みな、それぞれの世界でしっかりとエッジを作ってきた人達。駐在員コミュニティーと違い皆タガログ語を操りしっかりとフィリピンに根を張っている。タクシーの運転手との会話を聞いても楽しそうだ。本当にフィリピン生活を味わっている。彼らがとても魅力的に思えた一方で、自分の取柄の無さが寂しくなる。どこでも通用してすぐに使えるスキルってものがないんだよな。大企業の整った環境でしか力を発揮できない。もっと逞しさみたいなもんが欲しい。せいぜいどこいってもお腹を壊さないことぐらいだ。


最初は友人の誕生会にお邪魔させて頂いた。SideAというRYOさん曰くフィリピンにおけるサザンオールスターズのようなバンドが呼ばれていた。入国管理官の方の誕生日らしく、マニラ警察のNo2やらクラブのオーナーやら大勢の警官やら錚々たる顔ぶれだったようだ。場違い甚だしい。何かがあったとき彼らと個人的な繋がりがあるかどうかが大きな違いを生むことがあるそうな。ちなみに不思議だったのは皆、好き勝手に酒を飲み、楽しんで勝手気ままに解散。お誕生日を皆で祝うというより、主役がゲストを持成す形式のようだ。当然全て主役持ち。

RYOさんに「なめるな、ふざけるな、今夜は帰さん」とお叱りを受け、彼らの知っているお店に連れて行ってもらう。これは日本で言うところのキャバクラなのか。綺麗な女の子が大勢いて、普通にお酒を飲めるのだが、250PHPで指名してついてもらうこともできる。まあ、怪しい店でもなく普通に会話を楽しむクラブだ。キャバクラは日本で先輩の送別会で一回行った事しかない自分にはわからぬ世界。選べと言われて30人ものピリピーナに並ばれるとこちらが萎縮。この中から選ぶなんて他の人に悪いなーなどと阿呆な逡巡をしていたら頭を叩かれた。お互いが楽しく話して楽しく飲む場所なんだからノリに身を委ねろと。ピリピーナは皆とても綺麗で日本語を話す。昨今の規制で日本に行けなくなった所謂タレントの女性達だ。タガログ語をいろいろ教えてもらった。払ったのは1000PHP。ぼられることもなく安心して飲めるお店。日本の感覚からしたら安い。大勢のおっさんがフィリピンに夢(?)を求めて遊びに来るのもわからんでもない。

3件目になるといい加減、酒の弱い自分はしんどくなってくる。
アキラさんは「美容師業界の修行は先輩に飲まされてなんぼですから」
はじめさんは「空手部時代にだいぶ鍛えましたねー」
RYOさんは「水商売やってて飲めなきゃ始まらんよ」
当然、ひとり撃沈して足腰立たなくなって連れ帰って頂く羽目に。最後のほうの記憶はもう無い。

久しぶりに泥酔した。でも素敵な人達との出会いと輪の広がりがあり、ここ連日の仕事の悩みが少し解消された。



携帯のテキストメールの使い方を教わりついでに試しメールをついてくれた女の子に送ったのだが、それ以来「いつお店にまた来るのー」「さみしいよ、会いたいよ」メールがたくさん来るようになってしまった。営業熱心な相手にタガログ語の練習をしてみる。

Club Freesia
2011A,Mabini st, Malate, Manila