サンアグスチン教会 SanAgustin

次に回ったのはイントラムロスナイのサンアグスチン教会。マニラ大聖堂から数百メートルの距離にある。1571年に建築されたフィリピン最古の石でできたバロック教会として1993年に世界遺産にも認定されている。入り口向かいの祠には等身大のマリア像、幼いイエスを象ったサントニーニョ像やロザリオなどが展示されている。多くは18世紀のもので、スペイン本国から送られたものなので当時のスペインの技術芸術水準を見られる。遠路欧州から運ばれた至宝だったことだろう。

この教会の見所は聖堂天井の装飾画、2階の間近でみられるパイプオルガンと巨大な楽譜、併設された広大な美術資料館の品々と回廊の絵画。聖堂の天井は豪華な装飾画施されているように見えるが、これは騙し絵。トリックアート美術館のようでもある。当時の限られた資源や職人で本国に近い内観を目指したのだろう。金、黄色、赤など色彩が強くてあまり小生の好みではない。絵で取り繕うぐらいならマニラ大聖堂のようにシンプルでも良いように思うが、布教上は示威の為に効果的だったのかもしれない。


噴水と椰子の木の中庭を囲むように広大な美術資料館が併設されている。中庭に面して一面がガラス戸になっており、黄や青の色ガラスを通じて回廊に差す陽が美しい。資料館の中には法衣や設計図資料、王冠や杖などが展示されている。


2階に上がると巨大なパイプオルガンが奥に鎮座し、中央には巨大な楽譜、周囲には重厚な椅子が並ぶ。パイプオルガンの間へ上がれる教会はまず少ないし、この巨大な楽譜や議会席も近くで見る機会の少ない珍しいものだと思う。世界遺産にふさわしい充実度。




疑問に思うのだが、宣教師は全くもってアジアやアフリカの国々を植民地化し改宗させることに迷いが無かったのだろうか。宣教師自身は、布教することが神に対する務めであり、己が信ずる使命であり、自己実現だったと思う。そこにスペイン王国が全面的に費用を負担してくれるわけである。当然国としての勢力拡大と資源の獲得が目的あることは明らかだ。その一方で自らが遠国で布教する為にはスペイン王国の支援は不可避だ。全面支持を受けておきながら植民地化を否定することはできない。彼らは布教する中で当然伴うスペイン王国による現地勢力の鎮圧、略奪、隷属化をどのように捉えていたのだろうか。フィリピンの人達を改宗させられる限り、民衆が国からどのような扱いを受けようが自らの宗教活動の為には止むを得ず黙認していたのだろうか。それとも植民地化であっても当時の社会に比べたら秩序や技術を与えることができて、民衆にとっては益のあることだと信じていたのだろうか。

現在、93%の国民はカトリックであり、敬虔な信者も多い。彼らの信ずるキリスト教を伝道した精神的指導者たる宣教師達とともに始まった植民地支配。その一方でスペインからの独立を目指した英雄Rizalは処刑される直前に妹への手紙の中で、フィリピンや家族への愛とともに「信仰の名のもとに人が殺されることのない自由な世界へ行くのだ。」と記している。現代のフィリピン人は両者をどう整合して捉えているのだろうか。