St.Pedro&Paulo

日曜にもなると教会には多くの人がミサに集まる。裕福には見えない人たちが多い。キリスト教徒でないのでよくはわからないが、敬虔で神への祈りを欠かさない彼らはちゃんと救われるのだろうか。

宗教は貧しい人の慰めに思えてしまう。彼らが祈ってる間にも裕福な人たちは労少なく多くを手に入れる。宗教は裕福な人たちにとってファッションだ。誠実な自分を装う手段だ。朝、テレビをつけるとCNNに自称敬虔なプロテスタント「George Bush Jr.」が映っていてそんなことを思った。

宗教と信仰は違うように思う。私見だが、宗教は布教という外交的側面を持ち、個々の信仰を土台にした社会性を帯びる人為的なコミュニティーだと思っている。一方で信仰はより精神的活動だが、人にひけらかすことなく淡々と秘めて行うべきものだと思う。間違っても「私はクリスチャン、仏教徒だから○○なの」などという自己主張を伴わない。

何の行動も取らず、いつも似たような悪態をついている自分にもげんなりなのだが。今の自分の生活には社会貢献と言う側面が著しく欠けているように感じる。変化が必要。


愚痴はさておき。教会はなんと1602年に建てられたもので外壁は遺跡のようだ。ブルゴスというマカティの怪しいネオン街の直ぐ裏の路地に埋もれるように建っていたのを街角で偶然見つけて嬉しくなった。マニラには植民地時代からの重厚な外見の教会が至るところに散在する。そしてどこも多くの人が集まり、活用されている。