やっぱり本音は寂しいだろうに

優しい牧師さん、NPOスタッフや仲間に囲まれていてもやはり寂しいのだ。普段大人しくてなかなか笑わないという子が年に一度、自分の家に帰る日には満面の笑顔を見せていた。自分だけの親、自分だけの家というのが必要な時期もある。幼児期の成長過程を見ても、自らを充足させて初めて他に与えることが出来るようになる。

みんな笑顔で楽しそうだけど、独りになってつらくなる時は当然あるだろう。両親が無くなってしまった場合や貧しくて泣く泣く施設に預けられた場合はまだ子供にも縋る余地がある。しかし虐待や育児放棄の場合は自分を納得させることは尚更、難しい。教育よりも何よりも、円満な家庭こそが子供に与えられる最大の幸せであることは忘れてはいけないわな。大人の都合などといって振りかざさないように。


「僕はもう6年生で大人だから親の面倒をみないといけないんだ」とカメラに向かって話した町の男の子がいた。彼は一日100ペソを稼いでお米を買う。例え貧しくとも家族円満が幸せなのだろうね。環境はこんなにも逞しくもするし軟弱にもする。自分はどうだろう。少し軟弱になっていやしないか。

来年はもう30歳。もっといろいろ考えていかないとなあ。さもないとパッとしない、いてもいなくてもわからんおっさんの一人になっていってしまう。