プラハ

ブリュッセルの仕事も今日で終わり。色々と都合をつけて一週間早くフィリピンに帰れるように都合が付けれた。昼間働き、夜もマニラの時差に合せて仕事をする生活にそろそろ体力的にも疲れてきた。そして次のコンサルテーションのためにプラハに転戦。マニラを発ってかれこれ2週間になる。

それにしてもプラハがここまで写真映えのする街だとは想像していなかった。「黄金のプラハ」「北のローマ」「建物の美術館」など様々な愛称を持つ。どこにカメラを向けても絵になる。肉眼で見るほどに綺麗に撮れないのがもどかしい。

神聖ローマ帝国時代に中心地として栄華を極めたと聞く。ローマ帝国が東西に分裂しそれぞれ衰退した後に薄い血縁を根拠に勝手にローマの正当な後継を名乗り出たものの諸国からは認められなかった中途半端な国。神聖ローマ帝国にはそんな否定的な印象があった。ところがこんなにも重層に個性的な様式の建築物を積み上げていたとは。密度が高い。旧市街地は中途半端な近代建築が混ざっておらず純度が高い。スメタナドヴォルザークカフカ、ムハなど芸術家を輩出した芸術の都でもある。16世紀のルドルフ2世の治世では、芸術や科学を愛する王が各地の芸術家、錬金術師、占星術師をプラハに集め、プラハはパリ、ローマ、ウィーンと並ぶ欧州の中心都市として栄華を極めたそうだ。そこまで印象が強くないのはその後2世紀における暗黒時代と共産主義時代の停滞によるところかもしれない。

バロックでおどろおどろしい意匠が街中に溢れていてパリ、ウィーン、ブリュッセル、スペインよりも中世の雰囲気を感じる。少し翳があり、御伽噺に出てくる想像世界そのものの風景が広がる。最も神聖な建物、中心的な建物に表情の歪んだ顔や怪物の彫刻を施す感覚はどこから来るのだろうか。骸骨や異形なものを身近において親しむような文化だったのだろうか。死を美化し陰翳礼賛する日本文化に似た感覚があるのだろうか。


出張の序ではなく、休暇で再訪したい国だ。