評価は相思相愛か

査定せねばならん時期なのだが、7人の部下のうち6人が同じ職級にいる。その中で序列をつけるのは正直非常にしんどい。

原則は成果で評価することである。潜在能力や将来の成長見込みで測ってはいけないことになっている。成長性を考慮するならば当該評価期間でどれだけ成長したか、その特筆すべき点を事実で示さねばならない。悩ましいのは途中で異動してきたAさんのほうが1年間在籍していたBさんよりも有意に優れていると思われても、12ヶ月の成果で比較すると異動引継ぎ期間のないBさんの成果のほうが多いということもある。そこに昇進までの平均期間やそれぞれのキャリアステージを考慮するとなんとも悩ましい。優秀な人材に満足できるそれなりの実績と評価が与えられないと会社を去ってしまうリスクがある。あちらを立てれば此方が立たず。全員を満足させることはできない。継続的な対話でそれぞれの立ち位置を理解してもらうのが精々だ。

皆、フィリピン大学、アテネオ、デラサールなどフィリピンのトップクラスの大学の中でも更に生徒会長やっていたり主席に近い成績だったりする。米国公認会計士の資格も標準装備。日本の同僚と比べると早く出世したい上昇志向は強い。夜遅くまで働くことも厭わない。いつもどこを改善していったら良いかせっつかれる。それなりに自尊心も意欲も高い。単に実力不相応な勘違いなら悩むこと少なく指摘できるが、皆頑張っていると優劣をつけるのは非常に難しい。その説明はさらに難しい。自分はこんなんではなかったな。もっとまったりとしたぐうたら新入社員だった。

思うのだが、上司部下の関係で自分を評価してくれる上司を高く評価してしまいがちなのは普遍的な傾向のように思う。仕事でも相思相愛が一般的なのではないか。普段の仕事の中でも、心の底から信頼している態度は自然と部下に伝わり、「自分は上司に認められている、頑張ろう」と更なる発奮にも繋がる。まあ、また仕事振ってきたとウンザリすることもあろうが我慢は出来る。しかし自分を否定され、かつその評価に納得できてない場合は上司の評価能力だけでなく上司の業務能力まで疑問を抱くことだってあるだろう。大抵そうなると会社での仕事がそんなに好きではなくなる。楽しく感じなくなる。あるいは拗ねてしまう。率直な話、自分が高く評価している部下のほうが信頼関係を築けており、話もしやすい。駄目出しを多くしている子には若干距離をとられているようにも感じる。そうならないように心がけているがこればかりは中々難しい。

結局、高く評価される人ほど会社や上司、仕事を好きになる傾向が強く、長く残ってその後も昇進していく。優秀な人材を残していくプロセスとしては至極真っ当なのだが、評価が高い人も低い人も会社や上司、そして仕事を好きになって、やる気をもって働いてもらうというのは難しいのだろうか。

「ぼかぁ人より仕事できないけどうちの会社と仕事が好きです!」という台詞が同僚の口から出てくる様は想像つかない。「ここで成功できなさそうなら。。。」と思っているのか知らんがいつの間に櫛の歯が抜けるように辞めていく。どちらかというと理屈っぽく、競争心旺盛な正社員を集めた我が社のような分業制の会社では難しいのかも。愚直でも丁寧な仕事を良しとして、むしろ自分と向き合う職人の世界とは違うからなあ。

いや、むしろ本質は人から評価されようがされまいが好きだからこの仕事をしていると言う人が職人の世界で多く、ジョブローテーションを基本とするホワイトカラーには少ないと言うことなのではないだろうか。評価を気にせず好きだからこの仕事をしているという水準まで自覚し、位置づけられていない社員間だと、社内評価が仕事の動機付けと連動しすぎる上に、評価が相思相愛に浮ついてしまうのかもしれない。