人口学から見る欧州の覇権

人口推移とその原因から事象を説明しようという学問でフランスが米とともに牽引しているという。時に社会分析は細に入りてしまいがちだが、エネルギーと人口という非常にマクロな視点から見えてくることもあり興味深い。表層の思想や手段の生成経緯を説明するものではないが、深層の社会不安が何に起因しているかをうまく説明しているように思う。

以下石井彰氏の文章から抜粋

過去500年間にわたって、なぜ西欧が世界を制覇してしまったのかという基本的な問い。西欧が世界を制覇した最大要因は、14世紀の欧州を襲ったペスト禍による人口激減と、その反動による以後の人口爆発である。

1492年のコロンブスアメリカ大陸「発見」以降、世界はスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランス、そして最後にロシア、アメリカと欧州(ないし欧州系)の覇権国家が交代で世界を植民侵食。19世紀末から20世紀初めにかけては、日本・中国など極東アジアと南極を除く世界の陸地面積のほとんどを支配することとなった。

14世紀に5回にわたって欧州で流行したペストは、欧州人口総数の何と2〜4割(地域による差がある)を短期間で一挙に減少させた。ペスト禍が去った後、欧州社会は何とかして人口を急速に回復させようとした。労働力不足によって、労働者の賃金は実質で2倍以上に上昇した。何とかして労働力を回復させようと、為政者が、「産めよ、増やせよ」施策を実施した。中でも信者の数が激減して、お布施も激減した教会が、人口増加策、すなわち信者増に非常に熱心になった。ペスト以前には、家族が増えすぎて貧しくならないように、民衆の間で広く行われていた避妊、堕胎、嬰児殺しが、厳禁された。

ハインゾーンによれば、特に人口回復策の最後の決定打となったのが、1484年にローマ教皇インノケンティウス8世が発布した、通称「魔女勅書」。これは、伝統的に避妊、堕胎、嬰児殺しの専門的知識を有し、民衆に対して実践していた産婆を徹底弾圧する狙いであり、彼女たちを魔女として排斥しようとした。この勅令によれば、産児調節は死刑である。カトリック教会のみならず、新興のプロテスタントもそれに倣った。

この結果、15世紀後半以降、欧州諸国において出生率が急上昇し、人口が爆発する。とはいえ、14世紀から15世紀半ばまで人口が激減したので、一家族当たりの子供の数が3〜4人から6〜10人に激増しても、15世紀末の時点では未だ農地や土地利用に余裕があり、社会全体としてマルサス的な経済的困窮状況には至っていなかった。

しかし、若者の人口は突出した。膨大な数の二男三男以降の息子たちには相続権がなく、彼らの大半は社会的地位が不安定であった。欲求不満に陥った彼らは、自らの地位を獲得すべく、“人生のハイリスク・ハイリターン戦略”に傾いていく。

この若年人口の大突出を、ハインゾーンは「ユース・バルジ」と称している。彼らの不満のはけ口の有力な対象は、遠洋冒険航海であった。新たな交易路の発見や、植民地の獲得は膨大な富を生み出す。これが新大陸の発見と大航海時代をもたらす。

 この時期、イスラム圏や中国、インドは、欧州に比べれば、ユース・バルジの程度はずっと穏やかであり、ハイリスク・ハイリターン戦略は社会全体の志向とはなっていなかった。また、欧州と同じ程度の文化成熟度と技術水準であったので、欧州ユース・バルジの餌食となることもなかった。一方、欧州ユース・バルジの最初の犠牲となったのは、技術・文化水準に欧州と大きな格差があった新大陸やアフリカの住民であった。