潜在能力
友人が帰国する前夜の会話の中からの覚書。
潜在能力や適性があってもそれが活かされなければなんとも勿体無い。そんなことを友人に対して思った。なまじそれなりに出来てしまうが為に、友人の一番の強みが活かされない仕事にこれまで就いてきたように思う。
Success Trapという言葉をトレーニングで聞いたことがある。
- 誰もが就けない○○の仕事に就いているのだから凄い。
- ○○が出来るなんて凄い。
- ○○を持っているなんて羨ましい。
- ○○なんだから幸せに違いない。
そう言われることによって本当に自分が求めていることではなく、他者の言動を元に今自分が進んでいる道は正しい、自分は幸せに違いないと自分に言い聞かせてしまう錯誤や罠のことを言う。
小生は10年前から、友人の一番適した職は銀座のクラブのママだと主張しているのだが、未だ本人の賛同は得られていない。勿体無い。まあ、仮に銀座のクラブのママになってしまったら小生には手の届かぬところにいってしまうことになるが。
思う。大事なのは結果の優劣よりも自分の強みを目一杯活かせたが、能力の限りを尽くせたかではなかろうか。そしてどれだけ情熱を持って物事に取り組めた時間で人生を埋められるかではないか。それがより高い自己満足に繋がるのではないか。全てをぶつけて挑まないと、どこかで後悔が残る。
では、自分自身を省みてどうなのか。友人のことをどうこう言っている場合ではないのは重々わかっている。相手のことならば客観視しやすいが、自分のこととなると人はバイアスが掛かる。
自分にそれなりの充足を得てこそ、余裕をもって老いていく親の面倒を見ることもでき、自分の子供にきちんと向き合って育てていくこともできるような気がする。恨み節の偏屈親爺にはなりたくないものなあ。
先日、マンゴーも初めて芝生デビューをした。しっかりと爪を立てられる土の上を長い距離、全力疾走した。それ以降、外に連れ出してもらえるのが嬉しくて仕方が無い様子。全力で何かをすること自体に快感を得るように犬も人も作られているのかもしれない。