運動会に思う

マニラの子らは、こと運動会やパーティーの類になると目の色が変わる。金曜日は内部監査部門の運動会だったのだがなんと集合時間はオフィスに朝の7時。競技は8時から始り、夕方5時までみっちりと種目が用意されている。その意気込みといったら言葉を失うほどだ。運営委員会に入っている部下に頼んだ仕事がまだ終わっていなかったりするが、この周到な運動会の準備を見ると何に時間を割いていたのか一目瞭然。そんなのもありかもしれぬ。

全く仕事から離れて純粋にスポーツに興じるというのも楽しい。思わぬ人がバドミントンが得意であったり、バスケットボールのヒーローに躍り出たり。こわもての女性課長がお手玉クラブの会長だったなどという話も。違う価値軸でお互いの知らぬ面を分かり合える。ぜいぜい息を切らしながらアイコンタクトをする機会も増え、お互いがさらに身近な存在に感じるようになる。さほど知らない人のスポーツマンシップ溢れる爽やかな態度に接して彼のことを大いに見直すなんてこともあった。

30歳の怠けきった体では、常夏の国でやるフットサルはしんどかった。しかもワントップに据えられたものだから、自分が点を決めない限りは我が青組は勝てない。肩で息をしながらも、なんとか3点を決めて3-1で赤組を下した。フットサルなど最後にやったのは10年前のメキシコではなかろうか。意外とシュートが入るものだな。

種目はフットサル、バドミントン、バスケットボール、チアリーディング、チャイニーズガーター、ジャックストーンにパンティネロというフィリピンの遊び。男も女も、皆、必死で戦う。

最終的に青組は10点差以上をつけて赤組を下す。総合勝利の大きな要因となったフットサルでハットトリックを決めたということでマニーパッキャオ賞というMVP賞も頂戴した。

最近、仕事に対してもんもんとした思いを抱えていたのだけれども体を疲労困憊させることによって余計な邪念が随分と払われた。思考は体に縛られる。ああ、もっと運動するようにしなければ。

夜、MVP賞が妙に嬉しかった訳を考えてみた。やはりどこかには、フィリピンに一年もいながら、仕事外での付き合いのあるフィリピン人の友人がいないことが寂しさとしてある。ルーマニアやトルコにいた時とは随分と勝手が違うのだ。あの頃は数年してチェコなどで再会しても遠慮なく泊まらせて貰ったり、自然に気軽に声を掛け合い、気兼ねなく飲みに誘える友人が見つかった。フィリピンのほうが国民性からすると外国人への敷居は低そうなものなのだが、社内外で友人らしい友人がいない。夫婦生活もあって週末は家で過ごすであるとか、基本的に職場の同僚で、かつ役職が上の外国人だと距離を置かれがちだとか、理由を並べ立てることはできる。しかしどれも言い訳だろう。

日本に駐在している北欧人の同僚とマニラで再会した時、彼が溢していた言葉を思い出した。「日本で10年近く過ごしたが、日本人とは常に越えられない壁を感じている。本当に分かり合えるような日本人の友人は未だにいない。」彼も同じような寂寥感を覚えていたのかもしれない。

自分に関して言えば、結局、努力していなかったのだろう。それが薄々、自分でも判っていた。億劫になっていた。仕事の話と大して深くも無い世間話だけになっていた。自分から積極的に話しかけなければ、無愛想で口数の少ない目上の外国人なんて、よくわからん接しにくい相手で当然だ。小生は気の合わない人とまで無理して合わせるほどの社交性は持ち合わせていないし、どちらかというと人見知りだ。しかしこちらが億劫になっていては親しくなりうる相手とすら親しくならない。初めて留学した日本育ちの学生じゃあるまいし。成長していませんな。自分をぶつけない限り、返ってはこない。

今日、嬉しかったのは、彼らの大好きなスポーツフェスティバルで普段の仕事上の関係を忘れてスポーツを楽しみ、色々な話をして一日を過ごし、おまけにMVPという一大イベントの大事な賞を自分にわけてくれたことで、よりひとつ深く彼らに受け入れられたように感じられたからなのだろう。