監査法人

監査法人という数年前のNHK土曜ドラマを6本連続で観た。

公認会計士が主人公に据えられているドラマというのは珍しい。また、小生が内部監査をしていること、嫁さんが来比するまで長らく会計士として監査法人に勤めていたということもあり、興味深く観ることが出来た。

得もすると経済ドラマは小難しく、淡々としてしまいがちだ。しかし監査法人の不適正意見により対象会社の株式市場での信頼が失墜、上場廃止や倒産に至る流れの中で、数万人の社員を路頭に迷わす責任から自殺に至る会社役員と、間接的に引き金を引いた会計士の苦悩などの人間ドラマが生まれる。展開に緊迫感があり、惹きこむ魅力がある。

予断だが、今時、会計士を先生と呼ぶことは滅多に無いという。左手のブラインドタッチで電卓ではなく加算機を叩いていたらよりリアリティーがあって嬉しいのだが。出張や深夜残業が多く家族との時間が持ちづらい為、離婚している会計士が多いと以前嫁さんからは聞いていた。ドラマを観た多くの会計士が自身に重ねたかもしれない。

内部監査の仕事と絡めた上での雑感
バブル崩壊と米国での相次ぐ不祥事もあって、銀行の不良債権高と企業の財務諸表の信頼性に大きな疑問が投げかけられる中で、厳格監査が必要なのはわかる。しかし今まで適性意見を出して承認してきた監査法人が自らの生き残りの為に掌を返した感は否めない。内部監査でも言われて困るのはまさにこの点だ。「前回の監査では問題ないと言われていたのに、なぜ今になって急に問題視するのか」「監査人の意見に一貫性が無い」「違う監査人が来て違うことを言うな」。監査の厳格化と現状では財務諸表が承認されなくなる可能性が高い旨を前年、前々年に伝えて改善の猶予時間を与えた上での方向転換だったのか。ドラマではそうは読み取れない。

「では早速実査に取り掛からせて頂きます。○○の資料を出してください。」ドラマだと監査チームは随分と高圧的な態度を取っている。ちと、誇張しすぎではなかろうか。後に監査法人自体が特捜の捜査を受け、「初めて監査される側の気持ちがわかった」「土足で他所にずかずかと踏み込むようなもの」と漏らすシーンがあったように、非常にお役所的な「上から目線」姿勢で描かれていた。内部監査も企業内の独立部署であり全ての機密情報へのアクセス権限があるなど、似たような点もあるのだが、このような態度は取れない。ひとつは内部監査はあくまでも社内組織であり、最終的には内部統制の改善につなげることが求められているからだろう。適性不適正の評価を投げつけるだけでは監査法人とは別に社内に内部監査組織を持つ意味が無い。いつでも現場が相談を持ちかけられる関係、リスクが肥大化する前に内部監査に知らせてもらえ、協力して問題解決を図るような信頼関係を築くことが重要となる。

監査法人にとっても内部監査にとっても有効な改善策を提示することは非常に困難な課題だ。「500人のリストラでは足りない」「現場のビジネスも知らずに上辺の首切りしか提案できない」そんなやりとりがドラマでなされるように、実際には内部監査でも同様の苦悩はある。所詮、監査人は企業再生コンサルタントでも経営コンサルタントでもない。独立公正な評価を維持する為に改善策の結果に対して責任をもつことは立場上できない。一度改善案の結果に責任を持ってしまうと、提案した改善策を企業が実施したならば、例え状況が依然として不適正であれ問題にすることが困難になる。「あんたの行った通りに全てやったのだから、有効な解決策を提示できなかった監査法人の問題だ」と言われるようになってしまう。そうなると監査人の評価が問題解決力と相関し、独立公正さを欠くこととなる。だから改善策を例示はしますが、あくまで例示ですよ。。。というのは仕方の無い免責条項なのである。しかし駄目ならどうしたらよいか言ってくれと思うのは自然なことで、そこで現場の役に立てなければ仕事の満足感は得られないのも事実。何十年もその仕事をしている経験者に対して、1,2週間で問題を突き止め有効策を打ち出すというのは非常に困難な課題なのである。

内部監査で評価する対象は一法人や一事業部なので、監査法人の財務諸表に対する不適性意見表明のように会社の存亡を揺るがすような規模や影響は無い。よって、監査結果を理由に引責自殺するようなことは無いのではないかと思う。かなりの高収入を得ている支社長がキャリアの前途を絶たれ転職するぐらいなものだ。しかし自分が同じ立場に立たされたらやはり事実と客観的な評価を突きつけるだろうな。厳格化に対する移行期間を設けたり、コミュニケーションの仕方など工夫の余地はあるだろうが。実態として倒産状態にあるのならば、虚偽の評価結果で延命させても意味は無いし、倒産で自殺するならばその責は倒産に至るまでの経営判断を行った人間にあって、監査法人を責めるのは筋違いだ。

最後に一つ。簡単に自殺しすぎ。死んで侘びるから勘弁してくれよという逃避に映る。