月夜の孤島での特別な夕食

エルニドでは宿泊者全員には案内されない裏メニューめいたものがある。そのひとつがこのプライベートディナー。

完全に日が沈んで暗くなった19時過ぎに、ビュッフェディナーに集まる他の宿泊者を尻目に船に乗り込む。二人だけの客を乗せて船を15分ほど走らせ、ハネムーナーズアイランドと呼ばれるPINAGBUYUTAN島に渡る。すると巨大な岸塊の裾にこじんまりと広がる何の施設も無い砂浜に、蝋燭が囲む中テーブルが唯ひとつ設けられている。一夜に一組限定の特別な夕食。

この日は雲ひとつ無い晴天だったこともあり、月も出ていない砂浜は完全に真っ暗で、空を見上げるとオリオン座が見つけられないほどに満天の星空だった。

メニューもビュッフェより一段手の込んだコースメニューで何も無い砂浜に炭焼きグリルが持ち込まれ、全てそこで最終調理工程がなされる。この点が調理された料理をどこかに運ぶだけのテーマディナーとは異なる。しかもマカティの高級レストランで食べる料理よりも贔屓無く美味かった。最初は暗闇の中で蝋燭の光に炙られるだけなので見た目の華やかさによる誤魔化しが一切効かないから尚更である。

おそらくは最初は欧州人のシェフがいたのだろう。フィリピン人に任せるようになって次第に味が落ちていくというのはフィリピンのレストランでよくある話。しかしフィリピン人シェフだけにも関わらず、かつ砂浜で仕上げられたにもかかわらず料理はどれも美味い。スープは熱く、肉は焼きたてでデザートは冷やされている。もしかしたらマニラの人よりもパラワンの人のほうが味覚が鋭敏なのではなかろうか。ジョリビーなどのジャンクフードに毒されず素朴で新鮮な素材で育っているのか、それとも単なる有難い偶然の個人の才覚か。唸らせる味を保ち続けている。

駄目押しに我ら二人を興奮させたのが月による偶然の演出だった。真っ暗闇だった遥か彼方が白み、白銀の月が日没を巻き戻すようにエルニド本島の山から徐々に登り始めた。月出とでもいうのか。月が登る瞬間というのを今までまじまじと見たことは無いように思う。記憶には無い。なんとも幸いなことに月が満ちたばかりだったようで一見満月のような丸い月が白く神々しい光で夜の海と浜を照らしていく。いつの間にか3,4割の星は消され、気づけば嫁さんの表情が蝋燭の光なしでわかるほどに月明かりに照らされていた。

この一組限定ディナーは日本から申し込むハネムーンのパッケージツアーには組み込まれているようだ。5,6泊以上も長期宿泊する欧米人には案内しているようだが、さもなくば自分から頼む必要がある。6人ものシェフや給仕がその晩は一組だけの為に至れり尽くせりの忘れがたいディナーを演出してくれる。これだけのものが1人1500ペソ也。しかしこれは金額でどうにかなる体験ではない。


「生涯の忘れがたい夕食」十選に加えたい。感動しきり。