視座の高さ

中欧地区の社長が30分の予定を1時間とって話をしてくれたのだが、なかなか刺激的であった。

中欧の組織は能力が高いことで長年知られており、欧州や中東アフリカ地域で新システムや新体制の導入など新しい試みをする際には常にパイロット組織として位置づけられてきたそうだ。近年の事業会社と販売子会社の分離化戦略に伴い様々な意思決定機能が中欧から欧州本社に集約され移転されたが、やはり文化の違う国にある欧州本社で作られる計画案には消費者理解の不足も見られ、いまだにポーランド支社側から欧州本社の仕事をリードしようという気概があるらしい。

これ以外にも、世界のどこでも共通したブランドのエクイティーを担保し強化すべく、地理組織横断的なブランド割の組織もあるのだが、世界全体を米国本社から扱うようなものだ。

共産主義時代の中央集権体制の中で育ってきた彼としては、過度な本社集約化に危険性を感じるという。共産主義国の人間が自由主義経済国の人間に能力的に劣っているわけではない。ましてやポーランドは主義思想と社会体制を押し付けられただけだ。優秀な人間といえど、自ずと見れる範囲、深さには限界がある。同様に優秀な人材がいながら中央集権体制の多くが機能しなかったのは一つの歴史的事実である。ゼロか全てかではなく、どこが適切なバランス点かを共産主義の教訓を活かして本社社長に提言するといった話をしていた。

そのほかにもいろいろとどう中欧、中東、アフリカを改革していくかといった話を聞かせてくれたのだが、感じたのは彼の視座の高さ。自分の職務より上の視座で物事を考えている人間が上に上がっていくのだろう。