将来に備える-語学

言葉が流暢に喋れず、たどたどしいだけでその人の思考までたどたどしいように見えてしまう。実際に台湾やポーランド、ドバイなんかに監査に行って英語の達者でない人と仕事をすると酷く非効率的だし疲れる。無論英語が喋れる奴が必ずしも有能ではないのだが、英語が社内公用語である以上、英語で効果的に仕事ができないならばそれがその人の能力と見做される。

問題は中国が巨大になり影響力を増し続けたら、周辺国で商いをするものは中国語リテラシーがあって当然という風になるのだろうか。社会環境として中国語が準公用語然となりやしないか。中国人を相手にできるのとできないのでは商機も大きく変わってくるのかもしれない。

英語は米国企業で問題なく仕事をする程度にはできる。ほかに現地で旅行するのに使える程度に話せるのはスペイン語トルコ語ぐらいか。しっかり勉強すればこの二つはそこそこ喋れるようになるかもしれないが、日本に住むに当たっての実用性は甚だ疑問だ。わずかに齧ったヘブライ語ルーマニア語は全く使い物にならないし、どうにかしようとも思わない。

使用機会が多そうなのはやはり中国語か韓国語なのだよな。ところが中国というのがもはや感情的に親しみがわきにくい。50年に渡って3兆円近くの経済援助を受けておきながら第二次大戦の非を責め、若者に反日教育を施しているその姿勢というのが好きになれない。日本軍の非道を否定するつもりはない。何度でも謝罪すべきだと思う。国として過ちを犯したのであって、謝罪することが戦死された方々を否定するわけでもない。その一方で、金は受け取りながら責め続ける中国政府の姿勢が好きになれない。謝罪の態度が気に食わなければ金を一銭も受け取らずそう主張すべきではないのかね。貧富の差の拡大を容認し拝金主義が増大してなお共産主義の看板を掲げているのもどうかと思う。後はチベットでの迫害と粛清。

他国に興味を持つ引き金は大抵、その国の文化だ。中国も最初は魅力的な文化大国だった。しかし非常に期待していた中国料理を本土で食べ、見事に落胆させられたのも中国に興味を失いかけている理由のひとつだ。どんなに茶の作法やら茶葉の薀蓄を語ろうともドブ臭さの残る水で平気で茶を淹れて飲んでいるので白けた。街中のレストランも化学調味料でピリピリする料理だらけで歴史や伝統は形骸化しているように感じた。それなりの金を払って店を吟味しなければまともな中国料理にありつけないのではつまらない。

別に中国人が嫌いというわけではない。上海を訪れた際には数日家に泊めてもらった素敵な雲南省出身の友人もおる。成熟した人から我侭な人までピンからキリまでいるのはどの国も同じ。

やはり文化に興味を抱けないのにその国の言葉を学ぶ気にはなれない。中国の魅力を発見すべく、もっと調べても良いかもしれない。そうすれば中国語を学ぶ意欲も増すのではないか。胡弓をまた習い始めたい。井上靖が描いた敦煌や西域の文化にも興味がある。雲南省の山深い国の少数民族文化にも興味がある。香港、上海、澳門程度で中国を判断するのは浅薄かもしれない。

ううむ。習ってみようかな。30歳になって考えてるあたりが鈍くさい。