カースト

ムンバイは数年前にアカデミー作品賞を獲ったスラムドッグミリオネアの舞台でもある。



こちらは洗濯だけを生業とするカーストの住む地域。バラモン教から発展したヒンドゥー教では2000以上ものカーストに細分され、カーストに対し職があてがわれている。王様から始まり、トイレの便座を清掃するものとトイレの床を清掃するものの間にも格差があるらしい。



こちらは不可触民とされるカーストにも位置づけられない人達の住まいだろうか。ガンディーは生まれた境遇だけで無視される彼ら不可触民を法の上で平等とした。まだまだ表向きだけでどこまで現実が付いてきているかはわからんけれども。

今回はホテルで1日車をハイヤーしたのだが、運転手さんに恵まれた。彼は印度でも数少ないプロテスタントで、一般とは異なる視点を提供してくれる。最近南部では仏教やキリスト教に改宗する人も増えているのだそうだ。なぜならカーストから開放されるからだと言う。結婚も親が決めたものではなく自由恋愛結婚だそうだ。

彼のムスリム評は相当に辛口で、1日5回モスクで祈りながら外では平気で悪さをすると。街中をバイクで乱暴な運転をする輩にはモスリムが多いと嘆く。

権威主義的で華美なカトリック教も、テロリズムを助長するイスラム教も、人を階層に束縛するヒンドゥーも理解ができず、プロテスタントが一番納得のいく信仰なのだそうだ。仏教は悪くなさそうだがよくわからんと言っていた。原理主義は宗教に関わらず過激だ。まあ、プロテスタントも北部アイルランドではカトリックとの間で凄惨な殺し合いを続けているし、宗教の優劣以前に人間の未熟さのほうが問題なんだろう。彼も根はどの宗教も同じように良いことを説いていると言っている。それには賛成。

実際にはモーゼはユダヤ教キリスト教イスラム教に共通する聖人であるし、イエスキリストはイスラム教においても尊い預言者だとされている。同様に仏陀ヒンドゥー教においてヴィシュヌの9番目の化身だとされている。仏教にも他宗教の神も仏の異なる姿の現し方に過ぎないと観る、本地垂迹説というのが神仏混交を支える概念として平安時代からあったそうな。そもそも、細かい違いに目くじらを立てる以前にもっと基礎的な事すらできていない。怒りや不満をコントロールできないだとか、容易に欲に流されるだとか。

彼らはどのカーストに属し、カーストをどう捉えているのだろうかなどと思いながら街中を歩く。見た目には違いなどわからない。それがある程度真理を言い当てているのかも。


おぬしの前世は何かね