距離縮まる。嬉しい。

今日はうちのチームに7月から入った新人さんの歓迎ランチでFridayという米国系のレストランに行った。当然主力の料理はスペアリブやらチキンやらポークやらと肉尽くし。誰か野菜料理のある店にしてくれないものか。

最初はなんとなく会話も弾まず、たまに気を利かして家探しのこととか聞いてくれるのだがそれも途切れると黙々と食べていたりする。明らかに現地の子同士だとタガログ語で盛り上がれるのに、英語しか通じない日本人上司がいることで盛り上がらない構図。仕事の話は別にしたくないが、かといってそんなに共通の話題があるわけでもなし。

ひょんなことから、それぞれの第一印象をお互いに言おうということになり、そこから大いに盛り上がる。思いのほか本音を相互に口に出すことで互いの距離は大きく縮まったようだ。


彼ら一人一人への印象は
−理詰めで淡々と遂行する鉄の女のイメージの女の子
−向上心が強く活動的だが女友達が多く、ゲイかと思った男
−プライドが高くちいさいことで褒められたくない自尊心の強い女の子
−女子高生ばりにキャピキャピとした子
−静かで大人しく育ちの良い子


誤解を恐れずに思ったとおりに伝えたらえらく盛り上がっていた。


逆に彼らからの自分への印象は、
−思った以上に若い。もっと年配が来るのかと思った。(満場一致意見)
−話しかけやすくフレンドリー。偉そうにしないので良い。
−日本人は四六時中仕事熱心だと思ったが、遊びや休暇を大事にする。
−ルールに厳格でなく、自分で判断している感じがする。
−多くの外国人駐在員と違ってフィリピンの食べ物や土地に興味を示し、一緒にバドミントンをしたり積極的に参加するのが意外。
−2年住んでも片言しか知らない駐在員が多い中で、最初の自己紹介でタガログ語の完全な文章でいくつか話したので、フィリピンを理解しようという姿勢と敬意が見えて良かった。

まあ、上司という手前、否定的な事を言うのは憚られただろう。実際には否定的な印象もあったかもしれない。しかし、せめて好意的な印象の内容は、ある程度そうでありたいと思っていたことであり、それが彼らにも受け止められていて嬉しかった。

その国の言葉を少しでも学び、その国の文化に興味を示すのはひとつの敬意の示し方だと思っている。外国人に私は「柚子胡椒の味が好きで」とか「好物はしめ鯖なんです」なんて言われると何故か無性に嬉しかったし、米国人上司の奥さんが書道を習い、自筆で「和」と書いた掛け軸を部屋に飾っているのを見たときも嬉しくなった。何も、嫌いなものを好きだと言って迎合する必要はない。しかし相手の文化からせめてひとつは好きなものを見つけようとする姿勢こそがひとつの敬意の表し方のように思う。

振り返ると自分も、日本にいながらアメリカと同じような何十万円の広い家に住み、日本の文化にも興味を持たず、踏み込むことをせずに駐在員同士で固まりあっていた社員に対して、「帰れよ」と思っていた。さらに仕事ぶりも尊敬できないと輪をかけて致命的である。


日本と違ってこの国には何がないとあげつらっても仕方ない。あの店にいけば日本と同じ品質のものがあるといったことばかり駐在員同士で話しても現地の人との距離は縮まるわけがない。溶け込もうとする努力は好意を持って受け止められるのは確かなようだ。

今後も引き続き友人としての距離を縮めること。そしてあとは仕事を通じて上司として認められるように頑張らねば。