クリスマスツリー


屋内も屋外もこの時節はクリスマスツリーだらけ。しかし針葉樹のモミの木はフィリピンには無い。

キリスト教は最早この国に深く根ざした宗教である。しかしだからといって西欧の様式に枝葉全て従う必要も無いのではなかろうか。
雪など降らないのに、白い粉が湧き出すクリスマスツリーが売られる。この熱帯の気候の中で厚い赤と白のフェルト帽を被ったサンタクロース。そして自然界で見ることの無いモミの木のクリスマスツリー。そのほうが本物のクリスマスらしさや雰囲気が出るからというのが率直な理由なのだろうが、それは同時に雰囲気先行で本来の目的への意識の薄さの裏返しでもある。

クリスマスを祝う本来の目的に従った上で表現は土着の自由なものであっても良い様に思う。

想像してみる。モミの木の代わりは何だろう。椰子の木か、それともバナナの木か。ただ、それらだと飾りを吊るす枝が少なくて寂しい。ならば小生の好きなマンゴーの木などどうだろう。林檎の飾りを吊るす代わりに黄色いマンゴーの果実を吊るすわけだ。

赤白の分厚いコートや帽子の代わりに、赤白のバロンタガログだって構わないのではないか。このほうが涼しくて長く着ていられる。バナナとマンゴーの黄色をフィリピンイエローとしてもっとアイデンティティーを強めても面白くなかろうか。

駄目か。。。疑洋風の域を出ない。

時に、フィリピンではテレビで見るアメリカやヨーロッパらしさを良しとする舶来品への過剰賛美が感じられる。もっとフィリピンらしさを創意工夫して楽しむ流れがあっても良いと思うのだが。真似をし続ける限りでは劣化コピーの範疇を出ないのだから。