Toredo駅


壁一面にステンドグラスがはまり、天井は見事なアラベスク文様。壁の腰にぐるりと張り巡らされたタイルもアラベスク。中央の切符売り場も寄木細工のような設え。まるで中世の宮殿を再現したような駅舎である。


1917年だかに建てられたらしい。その当時はけしてイスラム教徒の治世ではないし、いくらでもより安価で効率的な建築方法があったはずである。経済の中心地としての機能は20世紀のToledoには確実に無かったはずだから観光地としての整備の一貫でもなければ単なる過度の支出ということになる。




90年経った今、駅舎は適度に古びて味わいも出始め、到着した観光客に驚きと高揚を与えてくれる。仮に当時のスペインのモダンデザインの巨匠の作でありデザインが優れていようともそのような駅舎よりも現在のToledoの駅舎のほうが観光客には嬉しいように思う。そこに住む人にとっても誇らしく思えるのではないだろうか。



話は飛ぶが、そう思うと京都駅舎は醜いと感じる。あれはあれで建築デザインの本に紹介されるような作なのかもしれないが、機能性や安全性の枠の中に寺社建築技術を組み込んだようなものであって欲しかった。せめて九州の国立博物館内部のように木材を駆使した巨大構造物にするような方法もあったように思う。例えレプリカであり歴史的価値など求められないものであろうとも、日本の公共建築のせめて幾許かはToledo駅舎のようにその土地の文化や景観の本流に加わる、しいてはより一層その土地を魅力的にするものであって欲しいものだ。