Sevilla Cathedralに思うこと

欧州でヴァチカン、セントポールについで三番目に大きな大聖堂だそうだ。どれだけ手間をかけて金銀の富と壮大な建築を神に捧げたかを誇示するかのよう。ここに新大陸への道を開いたクリストバル‐コロン、コロンバスの霊廟がある。宗教というものを考えさせられる。

15世紀終わりにグラナダを陥落させてレコンキスタを完了し、イベリアをアラビア人から完全に奪ったスペイン人は、新大陸を発見し大航海時代に突入した。宗教的熱気から当初は布教を目的に中南米へと進出して回った。

昔から住んでいた新大陸の「人間と思しき猿」に遭遇するに当たり、本国の総本山に彼らの存在を問うた。人間であるか否かを。人間であれば当然奴隷になどできない。教皇を初めとするカトリック総本山の答えは人間に非ずだった。この判断により様々な苦しみや不幸が新大陸に溢れかえる。ちなみにこの過ちを認めるのに300年以上を要している。

新大陸での初期の方針は入植することよりもまず黄金や財宝を収奪することにあった。マヤ、アステカ、インカといった勢力を滅ぼし、金銀を奪い、莫大な富をスペインにもたらした。この過程で多くのインディオが虐殺され、キリスト教への改宗事業が進み、インディオ女性に対する強姦が横行し、疫病をヨーロッパよりもたらして人口を激減させた。カリブ海大アンティル諸島のようにインディオが絶滅した地域もあり、少なくともペルーでは、インカ帝国時代に1000万を越えていた人口が1570年に274万人にまで落ち込み、1796年のペルーでは108万人になったとされる(数字はH.F.ドビンズの推計による)。開拓の進む金銀鉱山に対して激減する現地労働力。それを補うために行われたのがアフリカ黒人奴隷の売買と輸送だそうだ。

結局どのようにキリスト教徒はそれらを正当化していたのか。初期においてはキリスト教信仰と、「半人間」である非キリスト教徒のインディオへの改宗事業によって思想的な正当化が図られた。これらの行為の思想的正当化の試みは啓蒙主義自由主義によって行われ、フランシス・ベーコンやシャルル・ド・モンテスキューデイヴィッド・ヒュームらはインディオを「退化した人々」とし、ヨーロッパ人による収奪を正当化したとのこと。三権分立を提唱し、宗教からの離別を図ったモンテスキューでさえ「法の精神」で、「黒人を人間と考えることは不可能である。なぜなら、そうすると我々がキリスト教徒でなくなるからだ」と述べている。19世紀に入っても「近代ヨーロッパ最大の哲学者」と評されるヘーゲルすらインディオや黒人の無能さを主張し続け収奪の正当性を唱えた。

過去のキリスト教徒に対してはキリスト教で言うところの天国と地獄が存在して欲しいとさえ思う。さぞや地獄がキリスト教徒で埋まることであろうよ。キリスト教ほどでないにしろ、過去においてイスラム、仏教でも政治権力との癒着や他宗派勢力の弾圧の扇動なんかは大差が無いかもしれない。

総じて宗教は好むところではない。友人にキリスト教徒もイスラム教徒も仏教徒もおり、彼らに食って掛かるつもりもないし信仰を尊重もする。いつも思うのだが、自分の信仰の度合いを誇示したり、敬虔であることでもって自分が真っ当な人間であるとの主張を試みたり(先の米国大統領のように)、他を巻き込もうとするから始末が悪い。ただ一人、粛々と黙々と、自分の信じる教義と教えをを守るべく自分と向き合い自分と戦えば良いのだ。それは大層忍耐と精神的成熟を必要とすることだとは思うが。大抵は戒めすら碌に守れぬうちに、「私を見て」とアピールしたくなる。

キリスト教だけに限った話ではないが、普遍的な価値から離れ、時勢に即した人為的政治的要素が強まっていったが為に結局は力を失ったのだろう。近代、現代の発展は宗教の否定の上に成り立っているようにすら思える。