蟹工船

ワイキキの高級ホテル街の中で一番好きな白亜の洋館Westin Moana Surfrider Hotelに贅沢な三段重ねのアフタヌーンティーセットを食べにいった。予約をしたので一番ビーチ沿いのテラス席を宛がってもらえた。

左に緑色に白波の立つ遠浅の浜でサーフィンや水浴びに興じる人達を眺めながら、気持ちが良いので仕事の考え事をしばらくし、さの後は持ち込んだ本を読む。


リゾート気分満点のワイキキで赤と黒の背表紙をした「蟹工船」はそこかしこにいる日本人観光客の目に留まったかもしれないし、怪訝に思われたかもしれない。別に他に読んでいない小説はいくらでもあったのだが、最近日本では失業者の間で人気が再燃して160万部を越すベストセラーとなった本著が気になっていた。学校でプロレタリアート文学の礎を築いた作として「女工哀史」などと並んで蟹工船を知った。しかし読んだことはなかったし、作者の小林多喜二が29歳という小生と同い年で1933年に特高の拷問にかけられ嬲り殺されたことは知らなかった。まだ小生が何もできずに立ち澱んでいる年で、すでに世に認知され、自分の使命を自覚し、理想社会の実現を目指しながらも志半ばで殺された彼の作に興味があった。

蟹工船は航海船でも工場でもない無法な存在で、航海法も工場法も適用されない。そんな蟹工船で行われる非人道的な搾取だけでなく、炭鉱や開墾、鉄道埋設などに従事して劣悪な環境下で死んでいった無数無名の労働者の話が出てくる。北海道はまさに日本の植民地であり、本州では行えない無茶勝手や非道な扱いが国富の大義の元行われていったことを知る。資本家は幾らでも換えの利く貧農を消費しながら利潤を増やし増大していく。国政や警察権力と結びつき合法的に富と命を収奪していく。

スペインが南米で行った搾取はスペイン対南米、キリスト教徒対非キリスト教徒、あるいは白人対有色人種という構造かと勝手に思っていたが、本質はあれも資本家対被支配者階層だったのだと、はたと気付いた。同胞に対してできない過酷な搾取や無法が新大陸の人々ならばできたので、資本家がより利潤の高い新大陸に目を向けていただけの話だ。流れ込んだ富は宮殿建設やトルコやイギリスとの戦費に費やされ、工業化の促進に向けられなかったが為に近代化は遅れその後長く欧州の後進国として停滞する原因ともなった。よってスペインの農民を含む全階層が中南米の富に潤ったわけではない。結局、支配者階級である資本家の暴走が本質で、南米の鉱山などは労働者への大義すら存在しない蟹工船だったのではなかろうか。

ところで今のニート蟹工船に自身を重ねているとの話だがそれには疑問は残る。名のある大学を出ていようと、大企業に勤めたことがあろうと、一度転落すると再浮上が困難な薄氷を踏むような危うさが雇用市場にあるのはわかる。しかし今のニートと呼ばれる人達が、故郷の親を養うためだとか、国の発展の為だとか、列強から自国を守るためだとか、例え雇用者が酷使するのに都合の良い大義名分だったとしても、そのような意識を一部に持って働いているかは甚だ疑問に思う。愛国心や孝行心を逆手にとって搾取した当時の資本家と正社員の雇用維持と企業の競争力の維持の為に派遣切りしている当世の企業を同列にして良いものか。また、かつての共産主義者のように自ら立ち上がって状況を改善しようとしているようにも見えない。いつの時代にもあろう単に食いはぐれて困窮した状況を、より劣悪な蟹工船に重ねて自身の慰めにしているだけだと言ったら言いすぎだろうか。

結局共産主義革命は日本では成功しなかった。今の露西亜や中国のように資本主義以上に貧富の差が激しく、かつ偽善に満ちた歪んだ共産主義を見るに成功しなくて良かったと思う。その一方でこのような考え方を持った力が一定以上存在して与党を牽制する体制が健全なのかとも思う。また、蟹工船と党生活者を読む限り、小林多喜二が目指したことは労働者が相応に報われる社会、搾取が会社法等により合法的に正当化されること無きよう歯止めがかけられた社会であって、必ずしも結果平等や統制経済などを伴う共産主義革命だとも思えないし、彼が目指したものは資本主義内である程度は実現し得たとも思う。常識的な一側面を「赤」と断じて排除するのも恐ろしい。