褒章

チーム贔屓をしてはいけないし、地域や所属に関わらず優秀な結果を出した人が評価され、認められ、より大きな機会が与えられないといけない。

我が内部監査組織でも素晴らしい成果を表彰しており、自分がそのプログラムを担当しているのだが、毎年議論は非常に白熱し数時間に及ぶ。今年も亜細亜、北米、南米、欧州のおっさんおばさんが電話会議で繋いで議論することになったので、声が聞き取りづらかったり回線が切れないように、家からではなくエアコンの止まったオフィスに篭ることにした。

23時半でようやく結論が出た。結果として組織人数比以上の賞状が我がチームの子に送られることになり、上位の賞も我がチームの子が独占することになった。2時間議論を尽くした末に、成果が皆にとって納得の行く水準であること、直接本人を知らない第三者も同様の結論に至るであろう結果であることを確認した上でのことなので胸を張れる。

上司には自分を売り込めだの上の人とキャリアの相談を積極的にしろといつも言われるが大抵逃げ回っている。自分を売り込むのには非常な嫌悪感を覚える。自分はこんなにできているとアピールすることが酷く醜いことのように感じているということもある。ただ、もう少し考えてみると自分の成果を「これだけできてるじゃないですか」「いや、そんなに評価するほどではないだろ。あれやこれが至らない」などと議論の俎上に上げることが嫌なだけなのかもしれない。面と向かって成果を否定する人は少ないが、「何言ってんだか」という表情は読み取れてしまう。

その点、部下を売り込むのは楽しい。相手に疑問を投げかけられても気後れすることなく論陣を張れる。以前、家電量販店でプリンターの売り子のアルバイトをしていたときの楽しさに似た感覚がある。

面と向かって誰かに「自分の評価は不当だ」「自分はこんなにできている」と言えるのは実は強心臓の証ではなかろうか。もしくは勘違いと鈍感。その一方で自分のそれは謙虚でも美意識でもなく単なる小心なのかもしれぬ。

何はともあれ、チームの子が良い評価を組織横断的に認められるのは嬉しい。いや、ほっとしたと言うほうが実感に近いか。