ディアスポラ

アディはチェコプラハで働いている。
ルイザはイギリスのロンドンで働いている。
マリアはスイスのジュネーブで働いている。
ターニャはイギリス領チャネル島で働いている。
ロクサーナはオーストリアのウィーンで働いている。
それ以外にも多くがコンスタンツァからブカレストに移り住み、国際的な大企業に勤めている。ネスレ、コルゲート、キャップジェミニ等等。彼らもEUの他の国に異動する予備軍だ。

ルーマニア有数の大学を卒業した彼らからしたらそれらの国で働くほうが高い給料がもらえるのだろう。ルーマニアの頭脳の国外流出は自然な流れだ。その後は西側先進国の進んだビジネス知識を習得してルーマニアに戻ってくるのだろうか。それとも、バブルに沸いて表面は変わったものの一皮むけば旧態依然としたルーマニアの行政と、まだけして高くはない給与水準を敬遠して国外に住み続ける道を選ぶのか。

彼らが様々な国で認められて活躍しているのは嬉しいことだけれども、想像以上にコンスタンツァに残っている友人が少なくて面食らった。

昔は何杯も酒を飲んで警官に捕まっても1,2ドル払えば見逃してもらえたものだが、今や車で来たならばビール一杯に留め、後はジュースなんぞを飲んでいる。スーパーの酒コーナーを見れば、ギリシャのウゾ、ハンガリーのトカイアズー、ドイツのアイスヴァイン、フランスのシャンパンと何でも手に入る。しかも30ドル、50ドルする商品が他の商品と同様に並んでいる。バーではUrsusやCiucなどの国産ビールを一切置いていない店も多い。なんでも手に入るようになったのだな。

一方で依然として物価に差はあるようで、ルーマニアからの持込が制限されているものも多い。例えば紙煙草は1カートンが限度で、しかも1つのパックが開けられ最低一本は吸われていないといけないらしい。これは個人消費用であることを証明する為らしい。

給料は2倍か3倍になったとはいえ、市場価格が3倍、4倍の西からの商品が市場に雪崩れ込んだような感覚か。高給を稼ぐ手段も増えた。高級な商品も増えた。その波に乗れたかどうかで雲泥の差。EU加盟による変化は8年ぶりに訪れた目にも明らかだ。

西欧で高い技術を習得したルーマニアの頭脳にはいずれは帰ってきて欲しい。オランダで一時働いていた友人曰く、仕事も給料も満足できるものだったが、端々で感じられる「ルーマニアからの出稼ぎ」という視線が耐え難かったという。他と同様、いや、それ以上に成果を出しても高給目当てにやってきたEU後進国の人間という扱いを感じ、「いつ国に帰るんだ?」という心無い言葉に、常に二級市民だと意識されたという。非常に社交的で明るく仕事もできるであろう彼への嫉みもあってのことなのだろう。自分の能力が西欧でも通用し、自身に可能性を感じられたので、ルーマニアに戻ってルーマニアで勝負することにしたという。敗戦後に米国に追いつけ追い越せと力を振り絞った日本の先人のような反骨精神が彼にはあるようだ。そんな人材がもっと必要だ。10年後のルーマニアと10年後の友人の活躍と所在を知るのが楽しみでもある。そして自分も10年後はそれなりでありたい。