ボスの息子と再会

朝にホテルに迎えに来てくれた。すっかり逞しくなっていて驚いた。身長も伸び、体つきもがっしりとしたが目つきと喋り方には昔の面影が十分に残る。

今はブカレストの大学院生をしており、7月に卒業を控えて修士論文の追い込み時期だそうだ。勉強の好きなタイプではなく、手足を動かして働くのが好きなのだと言う。そんなわけで、一年の大半をコンスタンツァの父親の仕事を手伝って過ごしながら、合間にブカレストに来て通学しているのだそうだ。親父の仕事を継ぐつもりらしく、14歳の頃から夏はリゾート地に所有しているビーチバーの仕事を手伝っており、2,3年前からバーの経営を完全に任されているとのこと。「欲しい携帯電話があっても、親父は買ってくれなかった。自分で働いて稼げ、と」そうして若い頃から様々な仕事を経験していたという。今でも建築中のオフィスビルの為に従業員の飯を手配したり資材を担いで運んだり汗を流しているという。「いきなり経営者にはなれない。一緒に汗を流して信頼を得ていかなければ」。ボスなりの英才教育を施されているようだ。

とりあえずは母親から託された洗濯済みの衣服を彼に渡した。ブカレストは嫌いだといっていた。ホテル住まいをしているそうで、洗濯機もキッチンもなく、ホテルに出すと洗濯代が200Lei近くもするので仕方なくコンスタンツァ行きのバスに毎回預けて洗濯してもらい、送り返してもらっているのだという。何をするにもやたら金がかかる街だとぼやいていた。最初にブカレストに来たときには、自分で働くことがなくて何をして良いのかわからず途方に暮れたという。いや、勉強をすれば良いしその為に来た筈なのだが。

ブカレストでは女性の多くがその時さえ楽しければよいという享楽的な態度で、長い関係を望んでいるような子が少ないとぼやく。おそらく金持ちの社長の息子でもあるし随分ともてるのだろう。数ヶ月前に2年付き合った彼女と別れたばかりだという。やはりコンスタンツァで彼女を探したいと。

今まで教科書を開いたことなど一度も無いと言っていた。「新品のままならその後に売れるから」と笑う。今までの試験を人脈と賄賂を駆使して無事乗り越えてきたそうで、今もまさにその真っ最中。話を聞けば聞くほど面白い。修士論文は1年以上も前から担当教授と相談しながらテーマを決めて進めるのだそうだが、締め切り一ヶ月前になって初めて担当教授に会いに行ったら門前払いされたという。それ以降、なんども頼み込みに行っており、ようやく論文に取り組むことを許されたという。そこでバーで稼いだ金でコンスタンツァの友人に300ユーロで修士論文を書いてもらっているそうだ。

母親は修士号に拘るが、そんなもの何の役にも立たないと言っていた。広範な観光業の理論なんかよりもコスティネシュティのバーの経営のほうが差し迫った問題で、教室で学ぶことよりも親父と経営に関して喧嘩のような議論をするほうが学べると。実戦は理論に勝る。そうかもしれない。実戦を通じて理論を考えるほうが血肉になる。そういうことなのだろう。

以前、長年働いている従業員が友人のコンピューターを修理したことがあったそうだ。しかし修理されたにも拘らずうまく稼動せず、修理が半端だったことがあったという。幼い時から父と一緒に働いており、彼のことを可愛がってくれていた人でもある。しかし半端な仕事をされては会社の評判に関わる。何十年も働いているから決してクビにならないと甘えているのではないかと。目を覚ます為に減給するなり規律を締める必要があるのではないかと父親に具申して大喧嘩になったという。たかが22年しか生きてない若造が何を生意気を言うかと。長年支えてくれた歴史と人間関係を軽んじてはならないと。親父の言うことも一理あるが、息子の客観的な意見も正しい。経営者として育っているようで頼もしい限りだ。

金で人を雇って自分の修士論文を書かせるなんて決して褒められたことではない。しかしそれができる度胸、要領の良さと正論よりも結果が全てだというある種の開き直り。企業勤めのサラリーマンなら兎も角、混沌としたルーマニアで経営者としてやっていくにはより必要な才覚なのかもしれない。5年後、10年後の再会が楽しみな奴である。親父さんの期待もさぞ大きかろう。

これから教授に駄目出しを受けた論文箇所を再提出しにいくらしい。もちろん、コンスタンツァの知人に書き直しを頼んだブツだ。忙しい中にわざわざ会いに来てくれ、空港まで送ってくれた。多謝。

前日のパン入りチョルバが忘れられずに、ブカレスト一番と歌われる有名老舗レストランへ。豪華な内装とバイオリンの生演奏に感嘆するも、チョルバは昨夜のものには及ばなかった。

給仕のお姉さんもかわいいではないか。